ANA国内線【PR】

もうすぐバードウィーク。新潟市白山公園にカワセミが・・・

バードウィーク(愛鳥週間・5月10日~16日)
4月14日の白山公園のひょうたん池にカワセミがやってきた。蔵織の珈琲を飲みにきてくださるお客さんの写したカワセミの写真です。
同じ日に、犬の散歩で白山公園へいった家内が”ひょうたん池で青い鳥を見た”と言っていました。渡りの途中のオオルリだろうと返事をしておいたのですが、この写真で正体はカワセミということがわかりました。
白山公園では、昔、シカ、クジャク、さる、アヒル、クマなどがいましたが、カワセミの写真を見たのは初めてです。(昭和35年ころの住宅地図)
なかなかかわいい、何度も池の中に突っ込んでいたそうです。
下の野鳥も池の中に入っていたとのことですが、ヒョドリでしょう。水浴びはするそうです。カワセミの(オス)と(メス)のちがいは?くちばしの下が赤いということです


カワセミの(オス)と(メス)のちがいは?


新潟大火1955年(昭和30年)以後の地図・西堀朝市、白山神社に熊がいた



ロビン アート スタジオのロビンとは『Japanese Robin・こまどり』のことで駒鳥と書く


愛鳥週間(バードウィーク)、蔵織で2008年に野鳥写真展をやった兄の写真です。

鳥たちの四季







# by moekire | 2012-05-02 23:39 | 萌え | Trackback | Comments(0) 

添田知道の歌、土取利行さんの声とテンポがすばらしい

土取利行さんはフリージャズ、即興演奏のパーカッショニストの印象が強かった人ですが、竹久夢二の詞「どんたく」に曲をつけて奥様の桃山晴衣女史(故人)と弾き唄っている。 なんとも言えない世界だ
また、添田知道の歌も土取利行さんが多く弾き唄たっている。土取利行さんの声とテンポがこれまたすばらしい。
添田唖蝉坊・生活戦線異状あり/ 土取利行(弾き唄い)Toshi Tsuchitori
土取利行・邦楽番外地 添田唖蝉坊(作詞)・生活戦線異状あり/ 土取利行(三弦弾き語り・編曲)昭和5年、作曲は佐々木すぐる。

平成24年の現代を唄っているようです。

添田唖蝉坊 ・あきらめ節 / 土取利行(弾き唄い)
添田唖蝉坊・むらさき節/ 土取利行(弾き唄い)


奥様の桃山晴衣女史(故人)

落語『立切れ』で最後の三味線の音が聞こえてくるところ。(たちぎれ線香:読む上方落語・世紀末亭 )
落語:立切れ(立切れ線香)(最終段のみ)/ 五代目桂文枝+桃山晴衣(唄・三味線)
落語「立切れ」五代目桂文枝(三代目桂小文枝)+桃山晴衣(唄・三味線)昭和49年10 月25日東京青山タワーホール
「立切れ線香」ともいわれる上方屈指の落語の大ネタ。昔は芸者の花代を線香の立ち切れる時間ではかったことから、最後の落ちに辿り着く。描写が難しく大看板の噺家しかでき­ないとされる落語で、当時の桂小文枝は、はめものとして下座が演じていた地唄「雪」を、特別出演で桃山晴衣に依頼し噺をさらに劇的にしている。


桃山晴衣/ わすれな草(竹久夢二・詩)Wasurenagusa/Harue Momoyama

遊びをせんとや生まれけん/桃山晴衣  Harue Momoyama/ Was I born to play



土取利行の音楽世界

桃山晴衣のうた語り


添田唖蝉坊

竹久夢二のどんたくを土取利行&桃山晴衣が唄っている。


たちぎれ線香:読む上方落語・世紀末亭







# by moekire | 2012-04-03 10:17 | 萌え | Trackback | Comments(0) 

蔵織のお雛様の秘密・・・

実は、蔵織に飾ってある『享保雛』の頭が禿げています。茶髪ではありません、その秘密は

手前の小さな『享保雛』の雄雛の冠は人形の頭部と一体でできています。
横から見るとよくわかります。一体でできていた冠の部分がポッキリと折れて無くなっているのです。
頭部と冠が一体でできているお雛様は江戸中期のものだそうです。
『古今雛』になると冠と頭部は一体ではありません。まぶたもふくらみが出てきます。
明治時代の『古今雛』では瞳の裏からガラス玉がはめられています。














# by moekire | 2012-03-11 13:58 | Trackback | Comments(0) 

石子順造②赤瀬川原平『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行

つげ義春の絵では左の子供が目をつむっているのに対して、漫画主義では二人の子供は目をあけている。はたして、子供たちが見た画像は?
李さんの脳天軸を中心に左右に回転すると、吹き出し文字には『実はまだ続いているのです』とあり、黄色い炙り出しのようにNo6号の表紙絵がうっすらと見える。『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』(かくまんどううろこはねうすりぃとらひこうのず)だ。

私の持っているポスターの『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』では口にタオルを当てていない。なぜかは不明。(BEST DANGEROUS THOUGHTSと文字にかかる背後の雲のような物体はなんだろう?まる焼けチキンかまる焼けダンボのようにも見えるが、煙を描いていてうまくゆかなかったのか?)

冊子表紙『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』1969年
下、漫画主義ポスター(赤瀬川原平)
              フランスのイラストレーター、アングラポスター研究家
ブラウン・セシル(Brun Cecile)さんのHP
ピシャー・オリビエ(Pichare Olivier)さんのHP(少し重い)



蔵織1968年~1972年 アンダーグランド ポスター展(2007年)


フランスのイラストレーター、アングラポスター研究家のブラウン・セシルさんがやってきた


漫画主義 No6 1969・3・20
かつて劇画は生き死をその本体とした-戦後意識の惨めな転回と劇画- 権藤晋
「戦記マンガ」批判の思想を撃つ-石子順「少年漫画と戦争」批判-梶井純
意味の世界のタブーを犯す-林静一論- 上野昂志
大衆文化としての漫画 斉藤次郎
ナンセンス・ギャグ・マンガ論のために②あほらしさ、情況への痛覚-なぜ<ナンセンス>なのか- 石子順造
座談会 子どもマンガ情況の頽廃と批評の力 漫画主義編集委員会
つげ義春論 つげ義春と「随筆」の距離 新崎智
つげ義春論 つげ作品の生涯と情念 
手塚治虫試論② 何がロックを殺したか 菊池浅次郎














# by moekire | 2012-02-14 02:35 | 萌え | Trackback | Comments(0) 

高橋捨松翁が明治34年・新潟市で写した『勧商場』とは何ぞや・・・・・?

新潟県六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家『金城酒販・高橋一哉氏』の十代目にあたる高橋捨松翁が写した乾板写真の中に明治34年に新潟市を訪れた時の貴重な写真がある。その中の明るい日差しできれいに写っている新潟市古町6にあった『勧商場』の鮮明な姿があった。

勧商場』(勧工場)
明治・大正時代,一つの建物の中に各種商店が連合して商品を陳列し正札販売した一種のマーケット。1877年の第1回内国勧業博覧会の残品処理のため東京麹町(こうじまち)区辰ノ口(現在の千代田区丸ノ内)にできた物品陳列所(1878年:明治11年1月20日、東京永楽町辰ノ口に、府立第一勧工場開場)が最初で、のち各地に開設。(コトバンク)
 ↑ 新潟市古町6番町963番地(現在の古町6ディーズビル:パチンコダイエー)
    の勧商場の写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)

『新潟懐古資料88』創設当時のいろいろ (散華生稿)
出願者五人:明治17年2月6日、古町5の横田孫平、上大川前5の小山甚蔵、上大川前7の高橋治太郎、港町1の前田松太郎、下大川前5の藤野東太郎の五人が発起人となって出願し、許可された。趣意書に、ここに百貨を陳列し一々正確の定価を附し売買上の便宜を計るとともに当市物産の進行に努めたい、とあり、県も願意を容れてこれを許した。新潟市古町6番町963番地に建設し、同年4月10日に開業した。(早すぎる?)
当時、内部の構造は場内を区画して、70余室とし、各室の奥行きは4尺(1.2m)、幅は9尺(2.7m)と限定してあった。1室の貸付料は今から(大正15年)見ると恐ろしくやすいもので、一昼夜2銭5厘より少なからず、2銭5厘よりも多からずというのであった。開業の当夜などはその付近は見物の山を築き、頗(すこぶ)る盛んな景気なものであった。その後、本町13番町吉良萑熊ヶ小路から上4件目の東側にも弘商館というのができて、また、古町8にも広商館という一字違いのものもできてきた。(大正15年9月29日新潟新聞)

大正10年4月発行の会社通覧(農商務省編纂・国産時報社)によると、明治33年12月に合資会社勘商場(新潟市古町6番町・商店賃貸)として設立記録がある。明治17年2月6日に出願して、創立事務所を西堀前6番町11番地に置き、勘商上は古町6番町963番地に同年4月10日にオープンしている。のち、明治33年12月に合資会社勘商場として古町6に登記している。明治17年2月6日の出願前から建物の工事を始めていたのか、2ヶ月間の工事期間は短すぎる。また、捨松翁が写真を撮った明治34年はオープンから17年がたっている。きれいに写っているがよく観ると外壁の塗装はだいぶはげているし、2階バルコニーの床飾りも相当傷んでいるが、大屋根の4尺(1.2m)のひさしが外壁の傷みを防いでいる。建て替えなどはなく、写真はオープン当時のままの建築物であろう。
こういう些細なことが写真からわかるということは、いかに(金城酒販・高橋コレクション)の写真が鮮明に残っていて、貴重なものだということがわかります。百聞は一見にしかずです。

明治30年前後『勧商場』は全国で隆盛を極めたが、定価販売から安物販売にはしり衰退していった。代わりにソフトを重視した呉服店の再興:百貨店(デパート)の人気が高まりはじめた。



新潟県六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家の明治・大正のガラス乾板写真を訪ねて・・・


新潟県物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)


六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家の明治・大正の乾板写真と阿部家ルーツ・・・









# by moekire | 2012-01-08 00:52 | 新潟の昔のこと | Trackback | Comments(0) 

新潟県物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)

新潟県六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家『金城酒販・高橋一哉氏』の十代目にあたる高橋捨松翁が写した乾板写真。高橋捨松翁がカメラをかついで新潟市を訪れている。
その時の貴重な写真が数十枚残されている。その写真が今回の、 『柳都の華』ー新潟花街史を見るーで展示されます。(にいがた文明開化ハイカラ館に写真があります)
下、一府十一県連合共進会会場・物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)
その後、昭和7年、この場所に旧新潟県庁が建てられる時に、物産陳列館は現在の新潟市役所分館(陸上競技場横)の場所に移設され、本館は科学博物館となり、左側の建物は市立白山高校として使われました。昭和7年完成の新潟県庁は戦後を生き延びて、1989年(平成元年)現在の五代目新潟市庁舎を建てる時に解体され、新しい現在の市役所が完成します。2本の松の木はシンボルとして残っています。
  ↑ 新潟県物産陳列館写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)
完成した旧県庁と解体移設された物産陳列館の記念はがき。
移設された物産陳列館のアップ。
左側の建物が白山高校としてあった時の写真・昭和37年「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)その88ページ。(中央黒い屋根。)
松の木の位置?あるいは門柱の位置?
高橋捨松翁が写した明治34年の写真には大きな松の木が門の内側にあるのに、下の写真絵はがきには松の木が門の外にある。門柱のデザインも変わっている?
『にいがた文明開化ハイカラ館』さんによると、明治34年には写真絵葉書はほとんどないとのこと、それゆえ、高橋捨松翁が写した明治34年の写真は非常に貴重なものだそうです。
門柱の頭の電灯からみると、大正時代に門の位置が内部に下がって建て替えられたのではないか?というお話です。



1901年明治34年新潟県物産陳列館開館の松の木

昭和37年・旧県立図書館の真裏に「新潟県物産陳列館」移築後の黒い屋根が見える
「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)







# by moekire | 2012-01-03 23:08 | 新潟の昔のこと | Trackback | Comments(0) 

< 前のページ 次のページ >