坂口 安吾(さかぐち あんご)本名、炳五(へいご)。1906年(明治39年)~ 1955年(昭和30年)、明治44年(1911年)4月、5歳で西堀幼稚園に入園とありましたがどこの場所かよくわからなかったのですが、笹川餅やさんのお話でわかりました。やはり笹川餅屋さんの斜め向かいの鍛冶小路角にあった西堀幼稚園(西堀保育園)でした。
昭和27年・市立西堀社会館保育園とある。また、下は戦前の昭和17年の正面玄関の写真で、右側の手前にL型に建物が続いている。(上の写真の建物の真中が入り隅)戦前は幼稚園、戦後、幼稚園と保育園がダブってあった。
少し散財している安吾家でも、安吾はおぼっちゃまで、毎日お付きのもと一緒に通っていて、帰りには向かいの笹川団子屋さんでお菓子を買ってもらったという話です。建物は安吾当時のままで、保育園も幼稚園も入ると一緒で、預かり期間の長い短いで違ったということらしい、今の管轄の違いが当時からあったのかも知れない。
戦後の昭和27年の方が貧乏で卒業写真1枚だが、戦争前の昭和17年は卒業記念アルバムがもらえた。アメリカと戦う前は豊かだったのです。当時のアルバムの写真で子供たちの生活がうかがえます。
ラジオ体操と人形劇
お雛様、左の薪ストーブの上は持ってきたお弁当を温めている鍋のようなもの。戦前はお弁当でしたが、昭和27年はナント幼稚園ですでに給食がありました。アメリカの脱脂粉乳を無理やり飲まされました。
五月人形と相撲
お絵かき
ビンゴのような紙を持っている、何でしょう?
A白山公園の信濃川埋め立て地まで移動しての運動会。公会堂や県政記念館が見える。
B砂遊び、綱引き、旧県庁(現・市役所)と物産館が移設され科学館となった建物が見える。
昭和22年の新潟市地図で場所を描きました。