終戦記念日が近づくと、私が子供のころに見たドイツ映画『橋』を思い出します。ネットでそれらしい映画があったのですが、すごくきれいなカラー映画でした。
確か白黒フィルムだと思ったのですが、私がボケたのだろうと考えていましたが、細部のシーンが違うので、検索し直したら。リメイク版(TV)でした。
ぜひ白黒版の『橋』(1959年)を見てください。14才(中学2年)の私は封切りを見ていたことになります。
(お盆で、時間のあるひとはぜひ見てください)
ドイツ映画『橋』(1959年白黒フィルム、英語字幕)(日本語字幕はネットに無いようです)
http://www.youtube.com/watch?v=1JHG2SD-9fI
ドイツの前線が近づきつつある田舎町の普通の若者(16才以下)に召集令状(国民擲弾兵・大戦末期の少年、老人の二線級兵士)がきます。にわか訓練で銃を持った若者たちは故郷を守る高揚感で満ちていました。
“町の橋を守れ”という命令は少年たちを戦火に巻き込みたくないと思った体調の思いやりでしたが、命令どおりに橋を守り続け、悲劇の結末になるという筋です。
ドイツ語も英語も分からない私でさえ、おおよそのあらすじを頭に入れて見れば、伝わるものがあります。(前半は少年たちの悩みや生活が描かれていて日本語字幕があった方がよいですが、戦闘シーンは言葉はいりません)
最後の15分、若者の無駄な戦闘は何度見ても哀しすぎます。 敵の戦車もパンツァーファウスト(米軍のバズーカ砲をドイツが改良)で1台破壊しますが、7人の内5人が死に2人が生き残り、連合軍は煙幕を張って一旦退却すします。
そこにドイツ軍の味方がきて、お前たちは余計なことをしたと言って、橋の爆破作業に取り掛かるが、生き残った若者二人は自分たちの犠牲で守った橋を爆破すると聞いて憤慨し、爆破作業隊に銃を向けて追い払うが、 慌てて逃げ出す爆破作業隊の機関銃で一人が撃たれ残った少年一人の姿で、フィルムは終わります。
敵味方、両軍にとって、彼らは戦争の“消耗品”ですらなく、“厄介物”であったわけです。
右であれ左であれ、東であれ西であれ、一旦始まった戦争とはこういう小さなことの積み重ねで、常に民衆が犠牲になります。大規模な暴力と恐怖で人々を支配し2百万人以上が死んだ戦争が69年前にありました。
終戦で全てが終わったのではなく、アメリカは新型爆弾(原子爆弾)の生体実験をし、都市と人体の被害データを集め冷戦に備えました。日本の上層部の者たちの中にもアメリカに協力し戦後ぬくぬくと生き残った者たちも多くいます。終戦は歴史の通過点でしかなく、国家間の軋轢は大きく動いています。
さりとて、“橋”の状況に私が置かれたなら、アメリカ兵であれ北朝鮮兵であれ、私の隣の友人の頭を打ちぬかれたならば、躊躇せずに機関砲を打ち返しているでしょう。
そのような状況に誘導されないように、狭い枠を超えた自由な発想を持ち続け、自分の心の仕組みと、世の中の仕組みを学び続けなければなりません。
ドイツ映画『橋』(1959年白黒フィルム、英語字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=1JHG2SD-9fI
DVD日本字幕
カラー、リメイク版(2008年、日本字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=Cbo-Y2uxUUY
(蛇足、始めて映画館で映画を見たのが、『シェーン』(Shane1953年)で、7才・小学校2年で新潟宝塚(現坂内小路角駐車場)で母と封切りを見たのが最初です。暗い会場と人ごみに酔って、終わって外にでてから吐きそうになりました)