初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」を庄内屋シンさんを通して柳原前光に書いてもらいました。

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現代の万代橋のアーチ型デザインについて蔵織表ブログ 「蔵織のお知らせ・萬代橋誕生祭、こんな万代橋はいやだ!」 に載っています。

初代・萬代橋(万代橋)について「にいがた文明開化ハイカラ館」に載っていました。
新年の蔵織企画展『月岡芳年と豊原國周の明治浮世絵女性展』の時に飾っていただいた木版チラシ「新潟萬代橋真景」があります。
「初代萬代橋」
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「初代の萬代橋は県の役人をやめ、新潟日日新聞の社長をしていた内山信太郎が計画したもので、現在の橋の倍以上の日本一の長さ(782m)が有り、水害も多く、いつ流されるか分からない橋に出資する人はなかなかいなく、苦労の末最終的に第四国立銀行の頭取、八木朋直が出資して明治19年10月に竣工した。11月3日に竣工式を行う予定であったが雨で4日に延期になった。有料橋(一銭)でしたが当初一月は無料であった。上は当時の様子を錦絵版画に仕立てて売られた木版チラシ「新潟萬代橋真景」 (売価一銭)明治19年11月1日御届、新潟県平民 編集兼出版人 新田見太忠太  応需 誠斎(沢井誠斉画)橋の賑わいと川には多くの川汽船、安進丸が浮かんでいる。」とあります。

新潟日日新聞の社長をしていた内山信太郎が計画、第四国立銀行の頭取、八木朋直が出資して明治19年10月に竣工した。とあります。
八木朋直といえば、蔵織に晩年住んだ庄内屋シンさん と関係があります。
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                      八木朋直
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                    庄内屋シン
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                     柳原前光

初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」を庄内屋シンさんを通して柳原前光(やなぎはらさきみつ)に書いてもらいました。
柳原前光は妹・柳原愛子が大正天皇の生母で、大正天皇の叔父に当たります。
シンさんは柳原前光に惚れられて東京へ行きます。

郷土史研究家・花街研究家 藤村誠先生の「新潟美妓列伝」によると
「 ところで、初代萬代橋架橋の明治十九年当時、伯爵柳原前光は、賞勲局総裁として、また妹愛子が嘉仁親王(後の大正天皇)の生母であることで、世人によく知られていた。古町花街に何度か遊んだ彼は、見るからに可憐な数え十四歳の美女しんのたおやかさに、たちまち魅了される。
 一方、萬代橋を架けた八木朋直も、まだ雛妓の時からしんの大ファンであった。朋直が「萬代橋」という橋名の揮豪を前光に依頼する当り、二人の間を取り持ったしんの斡旋が大いに功を奏したという。この初代萬代橋の親柱に掛けられた鉄板の橋名板は、現在新潟市旭町にある日本海タワーのロビーに展示されている。」と書かれています。

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上の名盤は日本海タワーに展示してあるそうです。
初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」の痕跡は見当たりません。
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初代萬代橋の親柱の橋名に何か書いてありますが、前光の名盤(鋳物プレート)では無いようです。この写真以降なのか、駅側の親柱にあるのでしょうか。初代萬代橋は明治41年(1908年)火災で半分近く焼け落ちます。ハガキは明治39年とありますからまだ初代萬代橋の姿です。

NHK連続テレビ小説「花子とアン」の葉山蓮子・柳原白蓮と庄内屋シンは出会っていたのか?








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by moekire | 2010-08-26 10:39  

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