新潟大火。西堀の三越裏の『光林寺』は無事だった!?

 『午前2時50分頃に出火した新潟大火は午前10時50分にやっと鎮圧、残火も含めて完全鎮火したのは午後7時のことだった。』
Wikipediaの写真をよく見てみると、すでに明るくなっている。右から燃えてきて、ほとんど鎮圧状態。消火後の白い煙に覆われている。
遠くのビルは小林デパート(現三越)で、『にいがた文明開化ハイカラ館』写真の小林デパートのナショナルのネオンを裏側から見ています。
その手前に、小さな窓が二つあるお寺の屋根が『光林寺』で、類焼を免れて写っています。(私の家は光林寺の檀家です)
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 ビル近くをズームイン。ナショナルのネオンと光林寺の二つの窓が見える。手前のロの字の形をした屋根は当時の新潟大学教育学部とそのグランド。
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裏側から撮影したため、『にいがた文明開化ハイカラ館』のショナルのネオンと小林のマークが左右逆になっている。
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1937(昭和12)年開店した当時の小林デパート。まだナショナルのネオンはない。
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ネクスト21ビルを後ろに、現在の光林寺裏側の二つの窓。大火の写真にしっかり確認できる。
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光林寺は明治の度重なる大火に焼けて、大正十四年(1925)に鉄筋コンクリートの本堂が完成した。昭和の大火には焼けずに残った。類焼ラインぎりぎりセーフであったが、不燃のコンクリートは火の粉をさえぎり本堂を守った。
大火後,光林寺の墓は強制的に区画整理され肩身の狭い並びとなっり、墓地を貫通するように防火道路ができた。(現在の自家焙煎珈琲『器』 さんの通)
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地図はクリックで拡大します。 
 Wikipediaの写真は
JOQK新潟放送局』の航空写真のアンテナの右端の松ノ木(旭町)付近から、教育学部グランド右のロの字の校舎屋根を通してはるか万代橋方面に向けて撮影されたものです。(放送局の送局、配水所の文字半分が地図上の撮影場所マークの上にあります。新潟市で一番高い土地で、現日本海タワー付近)


昭和初期絵葉書「空から見た新潟市(二)放送局を中心として」  ↓
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by moekire | 2010-10-07 03:07  

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