郷土史家の児玉義男さんが永井荷風と藤蔭静枝のあいだの子供について書いています

新潟日報(2011/5/13朝刊)に蔵織によく来てくれる児玉義男さんが載っております。
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永井荷風と藤蔭静枝のあいだの子供について丹念に調べあげて本にまとめました。
藤蔭静枝の自費出版の本は蔵織でも販売しております。その本に後半、永井荷風と藤蔭静枝のあいだの子供について書いています。その方の娘さんが
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右が庄内屋シン(佐藤シン)さん左の眼鏡をかけている人が藤蔭静枝さんです。
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Wikipediaより
1943年(昭和18年)(63歳)、第50回藤蔭会を開いて舞踊生活50年を祝い、1945年の敗戦前後の混乱を、新潟市と柏崎市に避けた。1941年に新築した霞町の家は焼け残った。

第51回藤蔭会は1946年の晩秋だったが、敗戦後は、占領軍のキャンプで門弟と日舞を披露する仕事ができた。1948年春ごろ、六本木3丁目に新築した家へ移った。1949年の第52回は古稀の賀を兼ねた。その後も藤蔭会をほぼ年一回開いたけれども、覇気は次第に衰えて温習会的になって行った。1953年、東京新聞から初回の舞踊芸術賞を贈られた。

1956年(昭和31年)、第58回で喜寿を祝われ、翌1957年、『藤蔭静枝』名を門下の藤蔭美代枝に譲り、隠居して『藤蔭静樹』を名乗った。初代と二代目とは六本木の家に住んだが、不和になり、1958年、静樹は『藤蔭流宗家』を樹て、藤蔭流は宗家派と二代目派とに分裂した。

1959年に永井荷風が没したのちの静樹は、命日の30日に、荷風の最期の食事だったカツ丼をとるのを習いとした[1]。

1960年(80歳)、紫綬褒章を受けた。翌年藤蔭会が第63回に達した。1963年晩秋、歌舞伎座で最後に舞った。1964年、文化功労者として顕彰され、翌春勲四等宝冠賞を授けられた。文化功労者になる前から病床にあり、1966年の年頭に没した。

『昭徳院殿勲誉舞静樹大姉』。墓は、東京都港区芝公園1丁目の常照院にある。
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by moekire | 2011-05-13 18:05  

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