新潟県物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)

新潟県六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家『金城酒販・高橋一哉氏』の十代目にあたる高橋捨松翁が写した乾板写真。高橋捨松翁がカメラをかついで新潟市を訪れている。
その時の貴重な写真が数十枚残されている。その写真が今回の、 『柳都の華』ー新潟花街史を見るーで展示されます。(にいがた文明開化ハイカラ館に写真があります)
下、一府十一県連合共進会会場・物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)
その後、昭和7年、この場所に旧新潟県庁が建てられる時に、物産陳列館は現在の新潟市役所分館(陸上競技場横)の場所に移設され、本館は科学博物館となり、左側の建物は市立白山高校として使われました。昭和7年完成の新潟県庁は戦後を生き延びて、1989年(平成元年)現在の五代目新潟市庁舎を建てる時に解体され、新しい現在の市役所が完成します。2本の松の木はシンボルとして残っています。
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  ↑ 新潟県物産陳列館写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)
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完成した旧県庁と解体移設された物産陳列館の記念はがき。
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移設された物産陳列館のアップ。
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左側の建物が白山高校としてあった時の写真・昭和37年「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)その88ページ。(中央黒い屋根。)
松の木の位置?あるいは門柱の位置?
高橋捨松翁が写した明治34年の写真には大きな松の木が門の内側にあるのに、下の写真絵はがきには松の木が門の外にある。門柱のデザインも変わっている?
『にいがた文明開化ハイカラ館』さんによると、明治34年には写真絵葉書はほとんどないとのこと、それゆえ、高橋捨松翁が写した明治34年の写真は非常に貴重なものだそうです。
門柱の頭の電灯からみると、大正時代に門の位置が内部に下がって建て替えられたのではないか?というお話です。
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1901年明治34年新潟県物産陳列館開館の松の木

昭和37年・旧県立図書館の真裏に「新潟県物産陳列館」移築後の黒い屋根が見える
「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)
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by moekire | 2012-01-03 23:08 | 新潟の昔のこと  

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