公益財団法人『にいがた文化の記憶館』がメディアシップ内に開設。藤蔭静枝(静樹)の写真が・・・

新潟県出身者の文化人が残した業績を後世に伝える拠点施設
『にいがた文化の記憶館』が公益財団法人となり2013年2月オープンの新潟日報新社屋『メディアシップ』(新潟市中央区万代3)内に開設されるそうだ。同館長の神林恒道(現・会津八一記念館館長)氏が寄付を募っている。
なぜか、庄内屋しんさんの妹芸妓・藤蔭静樹(内田八重・藤蔭静枝)の写真が掲載されている。
蔵織の『新潟花街史を語る』(11回シリーズ)でも藤村誠先生に詳しくお話していただき、また、10月の蔵織・夜話で長岡 河井継之助記念館・稲川明雄館長さんに『藤陰静枝の舞踊』という題で講演していただきました。
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日本人で初めて日本舞踊をパリで公演した人で、新潟の妓楼・庄内屋シンさんの妹芸妓(庄内屋八重・内田八重)である。新潟から東京新橋芸者になったころは、シンさんが援助していた。のちに永井荷風と結婚するが、荷風の浮気で、半年で静枝のほうから三行半の文を残してわかれる。新潟時代から和歌を詠んでいるほどの文学芸妓で、東京の新橋あたりをうろついている文化人たちに臆することなく対等に付き合っていた。踊りは新潟の当時の2大家本元(市川流、市山流)の市川流の市川登根によって厳しく鍛え上げられた。のちに、幼少のころより稽古で市山登根に何度もたたかれていたが、その厳しさに感謝していると語っている。終戦前後、新潟・柏崎に避難。戦後1964年(昭和39年)文化功労者となる。
(昭和58年(1983年) 市川流藤間小藤が逝去、新潟の市川流が途絶える。現在新潟では市山流が柳都さんを指導している。)
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内田八重
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市川登根
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左・藤蔭静枝、右・晩年の庄内屋シン
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庄内屋シン

郷土史家の児玉義男さんが永井荷風と藤蔭静枝のあいだの子供について書いています

初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」を庄内屋シンさんを通して柳原前光に書いてもらいました。
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by moekire | 2012-12-15 01:07 | 新潟市のこと  

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