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白山神社に向かっての左側に立派な舞殿(神楽殿)があった

白山神社に向かっての左側に立派な舞殿(神楽殿)があった。正門を作るときに壊してしまったらしい。橋掛(はしかがり)揚幕、鏡の間、控えもありなかなかよいものだった。20年ほど前にはあったようだが、なぜ壊してしまったのだろうか。境内の塀を作るために壊したなら、噴飯ものだ。
今、薪能などと称して境内でやっているが、工事現場の鉄骨を組み、上に厚ベニヤを敷いてステージとしている。だからシテが床をトンと踏むと「カシャドン」と音がする。最悪だった。
古いものは、時々補修しながら、ぼぼろぼろになるまで使い切ってやることが礼儀だ。
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正門の入り隅の辺り(写真右奥)に優雅な建物としてあった。
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by moekire | 2010-07-29 09:31  

白山公園の昭忠碑は小山のてっぺんからひそかに右脇へ

白山公園の昭忠碑の鳥はヤタガラスか金トビか気になったので、写真を撮ってきた。
やはり銅像は小山のてっぺんからひそかに右脇へ、やはりあまり目立たないように移設されていた。本当はど真中の灯篭の上に設置されていた
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鳥はヤタガラスか金トビか?
トビの全長は60~65cmほどで、カラスより一回り大きい。翼開長は150~160cmほどになる。とあるから、銅像の大きさはカラスの大きさに近い。飛んでいるトビの尾羽は三味線のバチのように直線で切られている形をしているのだが、銅像の鳥の尾羽はボサボサだ。そうするとカラスなのかと思ったが、羽の裏側などに金色の名残がはっきり見えるので金トビ(金鵄)だ。
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「ウィキペディア」タカ科の中では比較的大型であり、飛行性能が悪く、頭が悪いので学習能力や危険予知能力も低く、共食いの習慣もあるため、最もバードストライクの原因になりやすい鳥である。

「飛行性能が悪く、頭が悪いので学習能力や危険予知能力も低く、共食いの習慣もある」とあるが神武天皇は大丈夫だったのか。
トビ(金鵄)は光輝いて敵を眼くらましにした。一方、ヤタガラス(八咫烏)は熊野国から大和国への道案内をしたとある。やはりカラスのほうが頭がいい。


下の写真の地図が問題だったのか銅像は右端に移設されたようだ。詳細はわからない。トビのゴールドが長年の汚れで見えにくくなったように、地球儀のゴールドも目立たなくなればよかったのだろうが、皮肉にも風雪に耐えて金色に輝いている。

ゴールドといえば、下のグラフだ。(1978年から現在)青線がドル、オンス。赤線が円、グラム。随分あがっている。真鍮は緑青になるが、金色のところは純金か?・・・・・・といらぬことを考えてはいけない。
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三菱マテリアルHPより
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by moekire | 2010-07-27 09:45  

1901年明治34年新潟県物産陳列館開館の松の木

1901年明治34年6月25日新潟県物産陳列館開館松の木
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昭和7年(1932)  9.21 新潟県庁舎学校町一番町に新築落成
旧新潟県庁松の木
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1989年(平成元年)現在の五代目新潟市庁舎が完成
現在の新潟市役所松の木左の高い松の木の形は同じだ。
もちろん、右の巨木も同じもの。明治34年であの高さなので30~40年前の苗木か?そうすると約150年前の松の木かもしれない。
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また、新潟県物産陳列館の正門が松の木の後に移動している。門の上の外灯が丸型に変わっている。
と、思ったが、写真では正門の外に初めから松の巨木はあったようだ。門柱だけを新しくして照明器具を替えたようだ。
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新潟県物産陳列館の正門の前はことのほか広い。奥の右手に巨木の松の根元とが見える。
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by moekire | 2010-07-25 19:18  

白山神社の太鼓橋(白山橋)とパディントン珈琲店と忠魂碑(昭忠碑)

白山神社の太鼓橋(白山橋)とパディントン珈琲店と忠魂碑(昭忠碑)
一番掘にかかる白山橋、上古町の最先端、パディントン珈琲店の建物が見える。昔も今も同じ建物だ。
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庇も間口いっぱいにある。昔の大工さんはえらい。「紙」と書かれた看板がある。山内紙店の写真のようだ。下の昭和33年の地図ではなく、1932年・昭和7年の新潟市職業別明細図に載っている。
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新潟市白山公園の忠魂碑(昭忠碑) 
忠魂碑(昭忠碑)は小山のてっぺんにあった。今は少し右脇の木陰に移設されている。地球儀の日本の広さが少し多いためのようだ。結構よい造りの像である。少し気をつけて見ればすぐに発見できる。当時の有名な作家によるものだそうだ。
新潟にはこういうコテコテの銅像はあまり無いので、近くへ行ったらさがしてみよう。
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この像は鷹匠(たかじょう)ではない。神武天皇のようで、手に持っている鳥はサッカーでおなじみの3本足の「ヤタガラス」だ。道理で蔵織の回りにいるカラスどもは強い。蔵織の池の金魚が少しやられている。
また、弓先にとまった金色のトンビだともいわれている。(神武天皇の東征の際に、神武の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍を眩ませたという日本神話の伝説に基づく)
弓ではなく手に止まらせているから鳶匠(とびじょう)か。
 トビにしては少し小さいのでカラスかと思ったのだが、汚れてるとはいえ、地球儀の金色の日本地図は覚えている。鳥もゴールドだったようだが、今度、近くで調べてみよう。
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蔵織で今年の新春にやった『月岡芳年と豊原國周の明治浮世絵女性展』の芳年も描いている。
と色々書いたが、黒い鳥はヤタガラス(八咫烏)ではなく金色のトンビ(鳶)だそうだ。
『ウィキペディア』より、八咫烏は『日本書紀』や『古事記』に登場するが、『日本書紀』には、やはり神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が登場する。金鵄は、長髄彦との戦いで神武天皇を助けたとされる。
八咫烏と金鵄は、しばしば同一視ないし混同される。
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月岡芳年「大日本名将鑑」より.(月岡芳年「大日本名将鑑」より「神武天皇」。シーンは金鵄のものだが、黒い「金鵄」が描かれている。)ヤヤコシや・ヤヤコシや
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by moekire | 2010-07-21 07:53  

ヒッコリーの迫さんへ敬意を称して。

ヒッコリー(hickory03travelers)の迫さんがサコのブログ蔵織の裏ブログを紹介していたようだ、と七尾屋の若旦那に聞いたあとで、当の迫さんが蔵織に自分の子供をつれてやってきた。赤ちゃん(7ヶ月)はころころと太って元気だ。タタミの上をはいはいで動き回っていた。他人の子は育ちが早い。
迫さんのブログで白山公園にクマがいたことが面白いと書いてあった。
クマの写真は無いが、アヒルならあった。(白山公園蓮池、奥にラジオ塔が見える) 鹿は今のサル小屋前の広場に柵を張り巡らせて放し飼いになっていた、孔雀はニャオーッ・ニャオーッとけたたましく鳴いて蔵織まで聞こえてきた。
ブログの地図を見た2人の青年がひょうたん池は瓢箪の形になっているのですねと驚いていた。そんな若者の反応に私も驚いた、瓢箪池がバナナの形をしていたらおかしいだろう。瓢箪はくびれたところをひもで結んであるが、そのひもの部分が藤棚の橋だよ、と言ったら「なるほど!」とマナカナのように声をそろえて納得していた。池のほとりで見ても瓢箪の形はわからなかったらしい。蟻の目線も重要だが、俯瞰目線も大切だ。
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春にヒッコリーのお店造りを手伝った。スタッフのみなさんも自由でのびのびしていて私ども(ロビン アート スタジオ)も仕事をやらせていただいて楽しかった。前の店から向かえのワタミチ(渡辺)の場所に移転した。
ヒッコリーの迫さんへ敬意を称して。
1932年・昭和7年の新潟市職業別明細図 まだ、りゅーとぴあ、陸上競技場などは信濃川の中で埋め立てる前。真ん中にワタミチ(渡辺)がある。
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アップした図。真ん中にワタミチ(渡辺)がある。驚く無かれ、上古町は 「銀 座 街 」と紅い文字で書かれている。
天下の愛宕神社、自然派の妙覚寺さん、ワープした如来寺さん、入沢旅館さん、井上時計さん、北村漆器さん、考古堂さんは別の場所で鍛冶小路脇に見える。ちなみに、右端に「播五呉服店」(はりご)とあるのがうちの本家である。今のアポロンのあたり。
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1936年・昭和11年の新潟市職業別明細図。お金を出したお店が載っている地図のようだ。名前が載っていなくても店はある。西堀の女子工芸学校(今の青陵学校)、蔵織の裏にスポーツ店の大成堂、「播五呉服店」は「はり五」とあり履物のおりとやさんもある。
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1958年・昭和33年ころの新潟市住宅明細図。 新潟大火後3年ほどの地図で、今の大体のお店の名前が見つかりますが、 後に古町公衆市場(今の旅の途中のカフェ*バル)も火災になって焼け落ちます。
ワタミチさんは表通りより中に入ったところに渡道酒店としてあります。百貨さかいさんの場所はまだササシン洋装店さんです。酒井さんはまだデビュー前で、松の木に登っているか、クマと遊んでいます。
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それにしても、上の地図3枚全て手描きです。昔の人はがんばっていました。クリックで拡大します。
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by moekire | 2010-07-20 03:50  

本間印舗(古町5)へよったら秘密基地七尾屋が開いていた

本間印舗(古町5)へよったら秘密基地「七尾屋」が開いていたので、ひゃかしでよってみた。
一緒のSさんは大喜びだった。本間印舗の次男若殿がお茶など出してくれて、色々お話した。
この蔵織の 裏ブログ(ブログ2)も次男若殿は見ているとのこと。ありがとう。
昨日、表ブログよりも裏ブログのカウントが多いのでおかしかったと言ったら、迫さんが紹介していましたよと教えてくれた。迫さんもありがとう。
裏ブログはマニアックなもので、まだ数人しかわからないことになっているので、不思議に思っていた。
本間印舗の次男若殿に敬意を称して。インポの写真を・・・・
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左の大きい建物が松竹映画館(今、アイメディア)、右隣りの蔵が(今、ギャラリー蔵)
その右隣りがインポ(半分だけだが本間印舗)である。間違いない。
蔵とインポの間に迷い込むと、タイムスリップして秘密基地「七尾屋」にワープする。
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面白そうなものがたくさんある。興奮してさわいだり、したり顔で偉そうに話してはいけない。
次男若殿は顔に似合わず、色々なことを深く考えているのだし、伝統ある商を引き受けようと決意しているのだ。立派だ。
色々見てから気に入ったものを買い求め、帰るときに何かしら一つ、誉めてから帰ること。
たとえば、おもての盆栽がいいとか、裸電球が今風のLEDより似合っていますとか、さりげなく言わなくてはいけない。そうでないとワープしたまま永遠に表の古町に出ることが出来ない。下の写真の空間をさまようことになる。
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写真Sさん蔵
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by moekire | 2010-07-19 21:43  

1933(昭和8)年に2代目市役所庁舎消失,商工奨励館を仮庁舎にする。

1933(昭和8)年に2代目市役所庁舎焼失,商工奨励館を仮庁舎にする。
商工奨励館仮庁舎としていた。右ウイングには「新潟・物産館」の看板文字が読める。下の昭和11年新潟市職業別明細地図にも明記されている。
昭和8年6月12日市役所焼失、即日商工奨励館を仮庁舎として転用移転。
昭和14年11月30日、焼失市役所の跡地を郵便局がバラック建て庁舎として使用していたが郵便局の鉄筋建て新庁舎が落成移転
昭和16年7月16日新市庁舎地鎮祭
昭和17年1月10日市役所新庁舎へ白山の仮庁舎から移転
新しい市役所が出来るが、1955年・昭和30年の新潟大火で小林百貨店、大和百貨店とともに被災する。
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昭和11年新潟市職業別明細地図の白山公園裏 仮市役所と物産館(商工陳列所)が明記されている。
地図表現は稚拙だが上の写真と合っている。本館が仮市役所で右ウイングが物産館(商工陳列所)の表記である。
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by moekire | 2010-07-17 09:07  

百貨さかいさんのお家もある(昭和30~33年の地図)

百貨さかいさんのお家もある。新潟大火(1955年・昭和30年)後3年以内の住宅地図。
県世話課と書かれた建物が現在の新潟県政記念館である。その前庭の松の木に登って大火を見たらしい。 アヒルを追いかけ、クマとも遊んだらしい。
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蔵織から随分近い。蔵織の向かいの道路に「西堀朝市」が出て、マーケット小屋もならんでいる。
鳥居医院さん、石崎旅館さん、キリンさん、菊の湯さん、岡田歯科さん、西山旅館さんもあり、新潟相互銀行の隣りに当時の酒井さんのお家がある。
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by moekire | 2010-07-17 05:19  

1958年・昭和33年ころ、商工奨励館が科学技術博物館となっている

1958年・昭和33年ころの新潟市の住宅地図
商工奨励館科学技術博物館となっている。右ウイングは新潟財務事務所として、左ウイングは白山高校の校舎として使われている。県立図書館は完成しており、、割烹偕楽の建物は労働会館になっている。
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by moekire | 2010-07-17 03:14  

新潟大火1955年(昭和30年)以後の地図・西堀朝市、白山神社に熊がいた

新潟大火1955年(昭和30年後3~5年ころの地図
蔵織の前には西堀があり向かい側に朝市があった。電鉄で近郊農家の方がきて露天を開き、2坪ほどの小屋(マーケット)が並んでいた。この西堀朝市が白山浦に移動して今もある。

なんと、白山公園内に動物がたくさん飼われていた。上から、シカ、孔雀、サル、アヒル、熊まで鉄の檻に買われていた。地図の中で探してください。地図には無いが大型のインコもいた。

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昭和28年の新潟市地図での新潟大火範囲
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by moekire | 2010-07-16 10:52