<   2010年 08月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 

初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」を庄内屋シンさんを通して柳原前光に書いてもらいました。

d0178825_10221247.jpg

d0178825_1035125.jpg
現代の万代橋のアーチ型デザインについて蔵織表ブログ 「蔵織のお知らせ・萬代橋誕生祭、こんな万代橋はいやだ!」 に載っています。

初代・萬代橋(万代橋)について「にいがた文明開化ハイカラ館」に載っていました。
新年の蔵織企画展『月岡芳年と豊原國周の明治浮世絵女性展』の時に飾っていただいた木版チラシ「新潟萬代橋真景」があります。
「初代萬代橋」
d0178825_8533177.jpg


「初代の萬代橋は県の役人をやめ、新潟日日新聞の社長をしていた内山信太郎が計画したもので、現在の橋の倍以上の日本一の長さ(782m)が有り、水害も多く、いつ流されるか分からない橋に出資する人はなかなかいなく、苦労の末最終的に第四国立銀行の頭取、八木朋直が出資して明治19年10月に竣工した。11月3日に竣工式を行う予定であったが雨で4日に延期になった。有料橋(一銭)でしたが当初一月は無料であった。上は当時の様子を錦絵版画に仕立てて売られた木版チラシ「新潟萬代橋真景」 (売価一銭)明治19年11月1日御届、新潟県平民 編集兼出版人 新田見太忠太  応需 誠斎(沢井誠斉画)橋の賑わいと川には多くの川汽船、安進丸が浮かんでいる。」とあります。

新潟日日新聞の社長をしていた内山信太郎が計画、第四国立銀行の頭取、八木朋直が出資して明治19年10月に竣工した。とあります。
八木朋直といえば、蔵織に晩年住んだ庄内屋シンさん と関係があります。
d0178825_941966.jpg
                      八木朋直
d0178825_12281817.jpg
                    庄内屋シン
d0178825_9381163.jpg
                     柳原前光

初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」を庄内屋シンさんを通して柳原前光(やなぎはらさきみつ)に書いてもらいました。
柳原前光は妹・柳原愛子が大正天皇の生母で、大正天皇の叔父に当たります。
シンさんは柳原前光に惚れられて東京へ行きます。

郷土史研究家・花街研究家 藤村誠先生の「新潟美妓列伝」によると
「 ところで、初代萬代橋架橋の明治十九年当時、伯爵柳原前光は、賞勲局総裁として、また妹愛子が嘉仁親王(後の大正天皇)の生母であることで、世人によく知られていた。古町花街に何度か遊んだ彼は、見るからに可憐な数え十四歳の美女しんのたおやかさに、たちまち魅了される。
 一方、萬代橋を架けた八木朋直も、まだ雛妓の時からしんの大ファンであった。朋直が「萬代橋」という橋名の揮豪を前光に依頼する当り、二人の間を取り持ったしんの斡旋が大いに功を奏したという。この初代萬代橋の親柱に掛けられた鉄板の橋名板は、現在新潟市旭町にある日本海タワーのロビーに展示されている。」と書かれています。

d0178825_109513.jpg

上の名盤は日本海タワーに展示してあるそうです。
初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」の痕跡は見当たりません。
d0178825_9585674.jpg
d0178825_1004843.jpg
d0178825_1023176.jpg
d0178825_103516.jpg
初代萬代橋の親柱の橋名に何か書いてありますが、前光の名盤(鋳物プレート)では無いようです。この写真以降なのか、駅側の親柱にあるのでしょうか。初代萬代橋は明治41年(1908年)火災で半分近く焼け落ちます。ハガキは明治39年とありますからまだ初代萬代橋の姿です。

NHK連続テレビ小説「花子とアン」の葉山蓮子・柳原白蓮と庄内屋シンは出会っていたのか?








[PR]

by moekire | 2010-08-26 10:39  

旧県立図書館の真裏に黒い屋根が見える

豆煎坊さんに珈琲を飲みに行ったら「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)という写真集があった。その88ページに「新潟県物産陳列館」移築後の写真が載っていた。
ページの解説では、『県庁分館(現市役所分館)、旧県立図書館から白山駅方面。(昭和37年7月)』とあり、旧県立図書館の真裏の黒い屋根の建物には触れていない。新潟地震(昭和39年)の前である。
   「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)88ページ
旧県庁分館(現市役所分館)の左、旧県立図書館の真裏に黒い屋根が見える。それが当時白山高校(定時制)の校舎として使われていた「新潟県物産陳列館」移築後の左ウイングの屋根である。本館(科学館)と右ウイングは旧県庁分館(現市役所分館)に変わっている。
左上に木造長屋の白新中学とグランドが見える。その左側に今、甲子園で活躍の新潟明訓高校があった。残念ながら写真画像からぎりぎり外れている。
正面の旧県立図書館は平成になって現在の鳥屋野潟脇へ移転した。写真中央真下に白山神社の神楽殿の優美な屋根棟が見える。
ボケて、思い出すのも困難になってきたが、写真はしっかりと当時の姿を残している。あらためて膨大な写真ネガを残してくださった中俣正義さんに感謝。

d0178825_1140572.jpg

写真下の左ウイングの黒い二重屋根の建物が、そのまま白山高校として使われていた。
d0178825_9312773.jpg


*「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)

著者:中俣正義
大正 7年 新潟県南魚沼郡六日町生まれ。
昭和22年 日本交通公社文か事業部写真事業課、及び新潟鉄道局嘱託
        大和百貨店写真材料部勤務をへて
昭和25年 新潟県知事室観光化勤務
昭和51年 フリー写真家となる。
昭和60年 心筋梗塞で闘病後、67歳で死去。

数々の写真コンテストで入賞、金賞を繰り返す。
主な著書
「雪国の生活」朝日新聞社(昭和31年)
「佐渡」朝日新聞社(昭和33年)
「佐渡と越後路」実業の日本社(昭和37~64年)
「雪国と暮らし」国書刊行会(昭和52年)
「越後路の四季いまむかし」朝日新聞社新潟支局(昭和54年)
「日蓮の佐渡」新潟日報事業社(昭和54年)
「越後の山々」新潟日報事業社(昭和62年)
[PR]

by moekire | 2010-08-21 09:40  

白山神社の昭忠碑の建立当時の写真で、大砲の弾のなぞが解けた。

白山神社の昭忠碑の建立当時の写真を紹介され、大砲の弾のなぞが解けました。
小学校(戦後10年)のころに、この像の近くに入ったことがあります。見えている柵は戦争中に鉄の供出をさせられたか、錆びて朽ち果てたか、既にありませんでした。
ただ銅像の前の地面に直径35~40cmの大砲の弾らしきものが1個転がっていました。 たたくとカンカンと空洞音がし、無声映画の月ロケットのような形をしていて、子供心にも、本物の大砲の弾のような気がしませんでした。 
この建立当時の写真を見ると、モニュメント的に大砲の弾を模して作ったもののようです。写真では左右に2個写っていますが、一個だけが、草むらの地面に無造作に横倒しとなって転がっていました。
戦争に負けて自主的に倒されたのでしょうか?また、戦後の生きるために誰かが鉄くずとして売り飛ばそうとして途中であきらめたのでしょうか。
子供たちはそれにまたがったりして遊びました。木々の間から見える屋根が後ろの一番堀を越えたところにある木造の新潟地方裁判所の屋根です。
神武天皇が左手に弓を水平に持っている。弓の先にとまり光輝いたトビを右手に移したシーンであろう。

d0178825_3111584.jpg

d0178825_22543229.jpg

[PR]

by moekire | 2010-08-14 03:38  

長岡花火が盛んですが、実は新潟市が3尺玉を先にあげていた。

長岡花火が盛んですが、実は新潟市が3尺玉を先にあげていた
新潟市で始めて3尺玉が打ち上げられたとブログ「にいがた文明開化ハイカラ館」に詳しく載っています。

新潟市では
大正13年の羽越線全通記念博覧会協賛の全国煙火競技大会には地元の花火師の精鋭から初めて三尺玉が打ち上げられ全国の同業者たちの“度肝を抜き”、また煌びやかな尺玉スターマインは全国に“其の比を見ない”とまでに称えられ評判を呼びました。
しかし、昭和12年に中国で戦争が始まり、昭和13年には国家総動員法が発令され、その後の花火も中止となります。とあります。
一方、長岡は
三尺玉が初めて上がったのが大正15年(昭和元年)でやはり昭和13年に戦争で中断、昭和22年に復活して今日の隆盛をみる。
とあります。
d0178825_18495574.jpg

また、
長岡の三尺玉(昭和1年から)より早く新潟で上げられていた三尺玉や、市民の夏の一大イベントであった「川開き」。湊新潟の歴史と、新潟っ子の心意気を今一度見直してみる良い機会になれば幸いです。と書かれています。
昔の新潟と長岡の川開きのポスターや先日の関屋浜での花火の美しい写真もアップされています。
新潟市の信濃川のでの花火も都市化の影響で1尺玉の花火でさえ制限されています。関屋浜の海でなら3尺玉の打上げも可能かも知れません。ぜひ新潟でも3尺玉を上げてほしいものです。
d0178825_18584052.jpg

新潟での3尺玉を2尺7寸玉だ、という人もいるそうですが、写真の人の肩幅が45~50cmとしても正面の3尺玉は倍以上あります。
[PR]

by moekire | 2010-08-03 18:52