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古町芸妓物語『新潟の花街』藤村誠著、朱鷺新書が出版されました


郷土史研究家・花街研究家 藤村誠先生がわざわざやってきて、出版された本を持ってきてくださいました。
古町芸妓物語『新潟の花街』藤村誠著、朱鷺新書(新潟日報事業社・1200円+税)
◆『柳都の華』ー新潟花街史を見るーが始まりました。
◆『柳都の華』あと1週間で終わりです。
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郷土史研究家・花街研究家 藤村誠先生の「新潟美妓列伝」によると
「 ところで、初代萬代橋架橋の明治十九年当時、伯爵柳原前光は、賞勲局総裁として、また妹愛子が嘉仁親王(後の大正天皇)の生母であることで、世人によく知られていた。古町花街に何度か遊んだ彼は、見るからに可憐な数え十四歳の美女しんのたおやかさに、たちまち魅了される。
 一方、萬代橋を架けた八木朋直も、まだ雛妓の時からしんの大ファンであった。朋直が「萬代橋」という橋名の揮豪を前光に依頼する当り、二人の間を取り持ったしんの斡旋が大いに功を奏したという。この初代萬代橋の親柱に掛けられた鉄板の橋名板は、現在新潟市旭町にある日本海タワーのロビーに展示されている。」と書かれています。
そんな話も本の中にあります。
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             蔵織に晩年(15年ほど)を過ごした庄内屋しんさん    

藤村先生は暑さなどなんのその、電動アシスト自転車でアットいうまに遠くへ行ってしまいました。
お元気でなによりです。
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初代萬代橋の親柱の橋名「萬代橋」を庄内屋シンさんを通して柳原前光に書いてもらいました。

古町芸妓物語『新潟の花街』藤村誠著、朱鷺新書(新潟日報事業社・1200円+税)
◆『柳都の華』ー新潟花街史を見るーが始まりました。
◆『柳都の華』あと1週間で終わりです。
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by moekire | 2011-07-25 14:17  

新潟電鉄物語の軽金前停留場と塩の橋・・・・・・

新潟電鉄物語
1933年(昭和8年)4月1日 東関屋 - 白根間 (17.4km) 開業。
7月28日 県庁前(後の白山前)- 東関屋間延伸開業。県庁前駅開業
1936年(昭和11年)3月26日 県庁前駅舎が完成。
4月1日 監督署小路、白山駅前、商業通り、硫酸会社前の各停留場開業。
1942年(昭和17年)頃 軽金前停留場開業。
1943年(昭和18年)12月31日 新潟合同自動車と合併、新潟交通が発足する。
1944年(昭和19年)9月1日
監督署小路、白山駅前、商業通り、中学校前、軽金前、硫酸会社前の各停留場廃止。
1948年(昭和23年)5月25日
電車線・県庁前 - 新潟駅前間(万代橋経由)の軌道線工事に施工許可が下りる。
1958年(昭和33年)10月23日
県庁前 - 新潟駅前間の軌道特許が失効、起業廃止許可を受ける。
1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震。鉄道線が約1か月、軌道線が翌年1月まで運休。
1985年(昭和60年)6月1日 新潟県庁の移転に伴い県庁前駅を白山前駅に改称。
1992年(平成4年)4月1日 白山前 - 鉄軌分界点 - 東関屋間廃止。(2.6km)
1999年(平成11年)4月5日 東関屋 - 月潟間 (21.6km) 廃止により全線廃止。。(Wikipedia

にいがた文明開化ハイカラ館
に『新潟電鉄物語』が載っています。
新潟電鉄の終着駅は蔵織から徒歩2分のところにありました。
上空から見ると正三角形の建物で、角が丸くなっていて、おむすびのような形の2階建ての建物でした。外観は総タイル貼りで鉄筋コンクリート造りに見えますが、木造タイル貼りでした。
現在の市役所前の噴水のあるところです。
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旧新潟県庁(現新潟市役所)の道路を挟んで右脇のおむすび形の建物が新潟電鉄白山駅。その右の広い建物が新潟地方裁判所。その下の白い建物が旧トキワホテルで、その右横が蔵織です。(下、昭和50年の航空写真)
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昭和30年代初期の「新潟市家屋明細図より。左端の三角形の電鉄ビル。県庁分館はまだ科学技術博物館が明記されている。(子供時代にエンジンのピストン・カムの断面模型を手廻しで動かしたり、放電装置のボタンを押して稲妻を発生させて遊んでいた、記憶がある。)
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『宮澤先生のBlog日記 Part2!』新潟市地図
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新潟電鉄・東関屋駅の信濃川向かいに日本軽金属の工場屋根と鉄道引き込み線が見えます。
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新潟電鉄・東関屋駅下の中州のあたりに『塩の橋』があったようです。日本軽金属に塩を運ぶ、日本軽金属専用の橋だということです。
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左上の白いところが関屋自動車学校で、右国鉄(JR)越後線、その左の丸いタンクは新潟硫酸や歴世鉱油などの工場(現やまだ電気、原信)。その専用国鉄引込み線。右下、けなげに走る電鉄車両が写っている。
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塩の橋の写真対岸に日本軽金属の工場屋根が見える。昔の子供たちは屈託がなくていいですね。下駄も履いている。
『宮澤先生のBlog日記 Part2!』
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立派な橋です。
h_iwasaki518さんのフォトアルバム
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『フォトログもうぞう』さん

デンテツには夢がある軽金前停留場
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by moekire | 2011-07-21 09:23  

②50年前の西堀埋立工事と鍛冶工事の下水道管埋設工事

 ①からのつづき)

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伊佐さんから西堀埋立工事と鍛冶工事の下水道管埋設工事(昭和36年5月~8月)の貴重な写真をお借りしました。
オレンジの線で囲われた部分が写真に写っています。青色の楕円の中に伊佐クリーニングと書かれています。自宅のベランダや屋上から撮っています。1923年(大正12年)生まれの伊佐おばあさまですから1961年(昭和36年)は38才のモダンなお母さんでした。自分の写真機で撮り続けていたそうです。
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50年前のケーブル式シャベルカーはいいですね。地表のアスファルトをはがし、崩れない程度まで掘ります。

ケーブル式シャベルカーあるいはロープ式シャベルカーはアナログぽっくてかっこいい。
写真は油圧式シャベルカー(通称ユンボ)ではない。50年前は1961年なので、油圧式シャベルカーの国産1号機Y35は1961年でまだ新潟市では活躍していなかったのであろう。
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女性が沢山働いています。男は運転手とベルトコンベアーに3人へばりついているだけで、後は女性です。
1mほど掘ったら崩れてきますので、矢板を打ちます。左奥の丸太やぐらに重い分銅を吊るしウインチで2~3m巻き上げ、放すと分銅が矢板の頭に落ちます。ベルトコンベアーの動力はエンジンが先端についています。(おもちゃ屋の日野屋・現駐車場)昔はウインチの代わりに放射状に広がったロープの先端をヨイトマケの女性10人ほどで引っ張り、2~3m上へあげ、いっせいに手を離し分銅を落としていました。(美輪明宏のヨイトマケの歌
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分銅が右端に転がっています。左端の男性と比べるとずいぶん重く大きいです。分銅がぶれたりしないように中心に穴をあけ、鉄の棒を貫通させ、矢板の頭部に確実に落ちるようになっています。やぐらに分銅がセットされています。
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深く掘り進みます。けっこう危なそうに見えます。
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(つづく)

①伊佐さんから西堀埋立工事と鍛冶工事の下水道管埋設工事の貴重な写真をお借りしました。


美輪明宏のヨイトマケの歌
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by moekire | 2011-07-01 00:19