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間章の墓参り・その② 『なしくずしの死』は『なし崩し的な死』か?

1978年12月12日は間章の命日。勝楽寺へ墓参り-①
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〈なしくずしの死〉への覚書と断片 間章著作集 II
今年、2013年11月に
発刊(月曜社)された。
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また、『阿部薫写真集 OUT TO LUNCH写真・文:五海ゆうじ

も出版され、渋谷GALAXY-銀河系にて写真展阿部薫12葉の写真+2」が開催された。そこで写真家の五海ゆうじさんに始めてお会いした。『割れた鏡または化石の鳥』のアルバム写真の両手を広げた吉沢元治の写真が印象的でずっと気にしていたカメラマンであった。こわもての写真家と思っていたが、ずいぶんやさしい人で写真集にサインをしていただいた。

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レコード『阿部薫-なしくずしの死
MORT A CREDIT)
1976年・間章プロデュース)
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(伝説的なアルト・サックス奏者の阿部薫が生前に唯一発表したソロ作品(1976年)。阿部薫は1978年の99日に29歳で自殺か薬事故で死亡。同年3か月遅れて、間章が1212日脳溢血で亡くなる。死の直前、ドラマーの日野明(晃:現武術家)が北海道で共演していて、阿部の死を予見していたという。(日野明といえば、和歌山の手造り大型道場の建設に吉沢元治が手伝っている。また、武術身体の動きでダンスのフォーサイスとの交流も深い)
 
 

間章の文章は読む者の襟足に冷風を送り、悪寒と嘔吐を礼賛するような幻惑的な言い回しが多い。しかし、間章には、頭でひねり出した悦な

言葉を文章にしたということではなく、その吐き出された時の異物(胃物)は体温と同じ温かさだというリアルさがある。

『なしくずしの死』という言葉は、ルイ・フェルディナン・セリーヌLouis-Ferdinand Céline)のMORT A CREDIT

『なしくずしの死』からの関連ではあるが、『なしくずしの死』は『無し崩し的な死』か?

生きとし生きる人間にとって、生はプラスで『死』はマイナスイのメージで、『くずし』は崩す、『なし』は無いのイメージであり、『なしくずしの死』はやはりずるずると死に向かってのマイナスイメージのカーニバルなのか。
しかし、国語の辞書では、借金を済(な)し崩す=借金を少しずつ返し崩すこととある。 間章の子供のころの新潟では『これを○○さんになしてこい』(返してこい)と言っていた。 『なしてこい』は『電車がずる』(動く)とか『げっぽ』(最下位、ビリ)とかいう新潟の方言と同じものと思っていたが、『済(な)してこい』は正しい言い方であった。もう少し田舎に行くと『ながなせ』(おまえがかえせ)とも言っていた。

そうであれば、『済(な)しくずしの死』は『死を少しずつ返してゆく』という意味で、プラスのイメージになり、『死を少しずつ返す』ということは『生を少しずつ取り戻す』ということになる。

『済(な)しくずしの死』は『生を少しずつ取り戻す』となり『無しくずしの死』は『済(な)しくずしの生』となる。 ルイ・フェルディナン・セリーヌLouis-Ferdinand Céline)のMORT A CREDIT『なしくずしの死』の翻訳の意図はわからないが、間章のひらがなで書かれた『なしくずしの死』は『なしくずしの死』と『なしくずしの生』の両方の意味を含んでいる。

少しずつ『生』の足元を崩しながら死を豊かにし、『死』の淵をずり落ちながら、『生』を満喫するとでもいうような・・・・。

いずれにせよ、その岩肌を素手で削る音が音楽となり聞こえてくる。私たちはその生と死をより豊かに、またより満喫するために、芭蕉がいうように習らわなければならない。松のことは松に、サックスのことはサックスに習えと・・・。 

 

間章著作集の公開読書会が高円寺でおこなわれている。主催:須川才蔵さん

2014年1月6日(月)は第19回目で 『刊行直後の間章著作集第2巻『〈なしくずしの死〉への覚書と断片』から、セシル・テイラー論を検討します。当日プリントを配布しますので、初めての方もお気軽にどうぞ!』とある。

場所は東京都杉並区高円寺駅前 『円盤』


1978年12月12日は間章の命日。勝楽寺へ墓参り-①

 

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by moekire | 2013-12-15 13:29 | 新潟市のこと  

1978年12月12日は間章の命日。みぞれの中、勝楽寺へ墓参りへ

間章は1946年に生まれ、亡くなった時が32才で、死んでから35年が経った。
1978年12月12日は間章の命日で、みぞれ混じりの日暮れ時、墓参り(勝楽寺・西堀8)に行ってきた。向かいのビルの窓明かりの反射か? 墓石が変に光っていた。
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帰りに、駅南ケヤキ通りのカフェドラペさんによった。マスターの安宅さんと間章の話をしながら、吉沢元治のベースソロ、『インランド・フィッシュ』を全曲聞いていた。 こういう日は、2曲目の『窓』が一番いい。
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間章のプロデュースで、1974年(新宿安田生命ホール)、吉沢元治ベースソロコンサートが開かれた。当時はベースソロでも400人以上入が集まった。
翌年『インランド・フィッシュ』LP盤のイラストを描き、私のおやじにINLAND FISHと筆文字で書かせた。
写真は『インランド・フィッシュ』復刻CDと間章のお父さんのマイカップ。
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お父さんは昔から、ラペさんに珈琲を
飲みにきていて、脳溢血で 半身麻痺になった後も、ベガーズの亀田さんのフォローで飲みに来ていたという。亡くなった後、カップだけが残され、今もラペさんに飾ってある。オールドビーンズにはちょうどいいサイズで、ロイヤルコペンハーゲンと並ぶと高価に見えたが、底を透かすと芸者さんが笑っている。外人向けのお土産カップで、章のお父さんの茶目っけぶりがうかがえる。
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間章のお父さんは高度成長期の『一人不動産屋』で、どういうわけか、幼い章をよく連れて飲み歩き、父が帰るまで、店の外か、店内の隅で待たされていたと、間章は話してくれた。喫茶マンハイムのオーナーだった母上はどうしていたのだろう。店がいそがしく、夜の子供たちは父親任せだったのだろうか。
妹が20代で、間章が32才で亡くなった。その後両親も墓に入いり、後から誰も入ることのない墓が寒さに発光していた。


間章(あいだあきら)
http://ja.wikipedia.org/wiki/間章

吉沢元治 - Inland Fish (1974)
http://www.youtube.com/watch?v=Cxf7qKpn6vg
2番目の『窓』は先回、蔵織での『やまいを舞う』で渋谷陽菜さんに踊っていただいた。


1978年12月12日は間章の命日―その②へ 
『なしくずしの死』は『なし崩し的な死』か?




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by moekire | 2013-12-15 12:21 | 新潟市のこと