新潟大火1955年(昭和30年)以後の地図・西堀朝市、白山神社に熊がいた

新潟大火1955年(昭和30年後3~5年ころの地図
蔵織の前には西堀があり向かい側に朝市があった。電鉄で近郊農家の方がきて露天を開き、2坪ほどの小屋(マーケット)が並んでいた。この西堀朝市が白山浦に移動して今もある。

なんと、白山公園内に動物がたくさん飼われていた。上から、シカ、孔雀、サル、アヒル、熊まで鉄の檻に買われていた。地図の中で探してください。地図には無いが大型のインコもいた。

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昭和28年の新潟市地図での新潟大火範囲
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# by moekire | 2010-07-16 10:52  

昭和28年の地図では商工奨励館は発明会館となっている。

1953年・昭和28年の地図では商工奨励館発明会館となっている。左ウイングも右ウイングも形として表示されている。左ウイングに白山高校とある。1951年(昭和26年)に国鉄の新白山駅はできており、旧白山駅跡地に新潟市立鏡淵小学校が1959年(昭和34年)に移築することになる。 
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1954年・昭和29年の地図では左ウイングの表示が無くなっている。切り離して白山高校の校舎としたのか?。鉄筋コンクリート4階立ての県立図書館の表示がある。鏡淵小学校はまだ蔵所堀(116号線)のまえにあり、青陵高校の前身の女子工芸高校は西堀通りにある。
1964年(昭和39年)右ウイングあたりに「BSN新潟美術館」が開館する。
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# by moekire | 2010-07-14 06:08  

新潟市白山公園の裏、(新潟市役所分館のあたり)に商工奨励館があった

新潟市白山公園の裏、(新潟市役所分館のあたり)に商工奨励館があった。

昭和7年の新潟市職業別地図
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1901年明治34年6月25日新潟県物産陳列館開館(旧石造りの県庁のち現市役所)入口左右の松ノ木が今の市役所前に現存している。
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1924年大正13年、新潟県物産陳列館羽越線全通記念博覧会 開催。羽越線全通記念博覧会という立体文字ネオン看板を屋根棟に設置してある。

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1932年昭和7年新潟県物産陳列館の場所に旧石造りの県庁完成
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1932年昭和7年 新潟県物産陳列館の場所に旧石造りの県庁完成、その県庁屋上より商工奨励館前の県庁落成記念会場を写している。商工奨励館の奥は信濃川か写っており、埋め立てて作った競技場や野球場はまだない。
それにしても、新潟県物産陳列館商工奨励館は建物のデザインが同じに見える。旧県庁を造るために、移築したのであろうか?
どなたかご存知のかたがいらっしゃいましたら、お教えください。
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上の写真の商工奨励館前の広場会場のアップ。円形ドーム型噴水塔のようなものが見える。
昭和7年の新潟市職業別地図
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左の白い建物が県庁、右上が新潟地方裁判所、右の松林の中に白山神社がある。右下の黒い屋根が商工奨励館の右ウイング、右下ぎりぎりにある丸いものが円形ドーム型噴水塔。
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左に商工奨励館、県庁、白山神社の噴水池と一番堀の太鼓橋、上古町辺りは翼の影。
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右上白い県庁。松群の中に白山神社、白い建物は割烹偕楽。左に商工奨励館正面本館、上に右ウイングが黒く写っている。左ウイングがない、これから造るのか、解体したのかわからない。円形ドーム型噴水塔はかすかにわかる。左下の白くあるのは信濃川埋め立て部分、右の白いものは飛行機の翼。
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南京陥落祝賀旗行列 昭和12年1937年 商工奨励館の2階窓から撮影されたようだ。中央の円形ドーム型噴水塔が見える。 左に5年前完成の石造りの県庁(現市役所)が見え、正面奥は白山神社左横の松ノ木(現白山会館、燕喜館あたり) photo by sasagawa昔の写真
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# by moekire | 2010-07-09 13:29  

侘び・寂び・萌え・切れ

「侘び・寂び・萌え」という言葉は、漢字Tシャツと同じ感覚なのか、欧米でも定番となった。「萌える都市アキハバラ・趣都」の著者森川嘉一郎が最初に言い出したのかは知らないが、三つの言葉の並列で「萌え」の気分が少しわかったように思えた。
それでも「侘び・寂び・萌え」に何かもう一つ足りないような気がしていた。
つらつら考えていたときに、なんとなく浮かんできた言葉が「切れ」だった。
「Wabi・Sabi・Moe・Kire」として遊んでみた。

「あらうみや さどによこたふ あまのがわ」の「荒海や」の「切れ」であり、
アラレちゃんの”んちゃ”「切れ」でもあり、エバァの14歳の「切れ」でもあり、2008-6-8の歩行者天国に突っ込んだ男の「切れ」でもある。
「切れ」は「萌え」の背後の眠り龍のようでもあるが、「侘び・寂び」の深みを照らす。

 ●戦後4~5年たった時の写真。昭和25年(1950年)ころ。 
 昔の子供たちに「萌え~」だ。
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新潟市中央区西堀前通の子供たち。
現代の写真集にありがちな、アフガンやアフリカの難民キャンプで追い求められた天真爛漫な子供の笑い顔ではない。戦争が終わって4~5年たった新潟の子供たちの表情である。広島、長崎に原爆が落とされ、小倉と新潟が次の標的といわれた。市民に半径12Km以外への避難命令が出されたが、逃げる途中で終戦(1945年)となったと聞いた。原爆避難命令で都市が空っぽになったのは新潟市だけである。
戦後間もない大人たちは大変だったのだろう。ほおっておかれた子供たちはただ群れて遊んでいた。
誰が撮ってくれたのかはわからない。カメラを向けた大人への目線は少し戸惑っているが自然体である。両手の指を無意識に合わせたしぐさに「萌え」だ。布か紙を持っている子供を除いて、誰も何も持ってはいない。グローブもバットも無かったが、しばらくして布製の手作りグローブが現われた。
反抗期はあっただろうがみんなは「切れ」ることなく14歳を通過し、大人になった。(左端のタダオ君は飲食店やホテルの代表となり活躍したが50代末に鬼籍に入る。(黄金の日々))
堀の両側に道があり、向かい側はアスファルトでバスも走っていた。子供たちの下駄の下は土の道路で、堀の淵には柵も無かった。それでも落ちて死んだ子などはいなかった。
素足に小さな下駄がかわいい。新しい下駄をなかなか買ってもらえない、というよりも、子供の成長のほうが早かったのだろう。水虫など無縁だった。
新潟市は昭和30年代末まで、古町通りをはさんで西堀、東掘があり大河信濃川の水を利用した生活運河をはりめぐらせた水都だった。特に西堀は桜と柳が交互に植えられていて、春には満開の桜の花のトンネルが千メートル(1~9番町)も続いていた。(新潟市西堀界隈に桜を植える会)
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# by moekire | 2010-07-03 03:33 | 萌え