富士山の世界遺産バカ騒ぎよりも、天然記念物になった『中央構造線の露頭』のほうが重要なのだ。
長野県諏訪湖から南アルプスの脇を通って天竜川下流につながっている長い谷があります。それはグーグルアースで見ると極細の三日月か日本刀の反りのようにはっきりと見ることができます。(国道152号線)
その真ん中に大鹿村(たいてい山中の鹿と名のつく地名は塩が出ているそうです)があり、日本列島を半分に分けた露頭(写真、灰色と茶色)が確認され、左右の岩の色がはっきりとわかります。
関東から紀伊、四国、阿蘇を通る『中央構造線』はナウマンゾウに名を残す、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンが命名し、新潟県でもおなじみのフォッサマグナも発見しました。フォッサマグナは糸魚川・静岡構造線と柏崎・千葉構造線の間に挟まれた谷面をいい、枝分かれした新発田小出構造線内に新潟市も入り、その途中に『栃尾』も入っています。
『中央構造線』は、もともと水平線のように九州から千葉まで平らでしたが、伊豆半島が嫉妬してぶつかり、今は、諏訪湖のあたりまで押し上げられて、山のような形になっています。その山の形の左稜線が、三日月のように見え、大鹿村や遠山郷(千と千尋の神隠し)がある谷間です。
大鹿村は原田芳雄の遺作映画「大鹿村騒動記」の村歌舞伎の残っているところで、『大鹿村中央構造線博物館』があり、近くで露頭を見ることができます。
途中に日本一”気”の強い場所(零磁場)分杭峠(ぶんこうとうげ)がありましたが、不純な私はほとんど何も感じませんでした。
また、日本で初めて確認された御池山クレーター(40~50mの隕石が激突した)の谷山があり、さらに南下すると、遠山郷に着きます。
そして、遠山川は天竜川と合流し愛知方面に流れますが、そのまま南下して青峠を越えると静岡県に入り浜松に出ます。そこに秋葉神社があり、そこまでの谷道を秋葉街道(国道152号線)といいます。
秋葉といえばAKBの秋葉でおなじみの火伏の神様です。口から火を吐くガルーダ(迦楼羅カルラ)という神様で、昔から地殻変動での火山や亀裂から鉱物資源(たたら)の宝庫の道でもあります。
(この秋葉街道は諏訪湖のあたりまでですが、それからの谷道は千曲川・信濃川水域となり新潟県栃尾の秋葉神社へとつながっています。戸隠の大権現が飛行してきたという新潟県栃尾の古い秋葉神社は、江戸時代に浜松の秋葉神社と自分のところが一番古いのだと争ったそうです。大岡裁きでは、栃尾は大権現の修行の地で、浜松は布教の地という裁きだったそうです。)
話はもどり、この秋葉街道沿いに遠山郷の村落(13の神社)があり、『千と千尋の神隠し』の宮崎駿が参考とした『湯立て神楽』の『遠山郷・霜月祭り』があります。
その『遠山郷・霜月祭り』は、鎌倉時代の祭りの原型が秘境とともに13の神社に残っていて、現在は人手不足のため8か所くらいで冬至近くに開催されています。
神社といっても、屋根の反り上がった姿ではなく、切妻・直線屋根で、神社名の額が掲げられていなければ、古い木造倉庫のように素朴な建物です。16坪(53㎡)ほどの神社内部にかまどが1基(釜穴は2~3)あり、大きな釜(径約1m)に遠山川の水を『流れに沿って』汲みあげ、薪を焚いて沸騰させます。
風呂のように、釜の湯の中に神様を入れるのだと思っていたのですが、それは間違いで、釜の上空4尺(1.2m)ほどに井桁が組んであり、色々な紙垂(しで)や伝承紙型が下がっていました。そこに八百万の神々を招き置くのです。
アニメのように神様たちを風呂にいれるのではなく、神様たちを釜の上空で蒸(サウナ)してやるわけです。そして、日没前からお囃子と、神事が行われ、夜を通して剣舞やいろいろな面をつけたものたち(動物、人、天狗など)が舞い続け、翌日の朝まで行われます。
『遠山郷・霜月祭り』の開催神社は13社あり、基本は同じですが、それぞれの神事作法や出し物が違います。
神事や剣舞などが終わると、色々なお面(おもて)を被った者達が登場し、カマドのまわりで演じます。
その遠山郷に伝わる面(おもて)の種類は天狗、さる、狐、翁、しょんべんばばあ、遠山郷の領主など種類は数十面あり、その総数は膨大です。それらが、かわるがわる登場して釜のまわりで舞い続け、クライマックスは大天狗が現れ、素手で沸騰したお湯を四方に向けてまき散らし、それを浴びた者は無事に1年を過ごせるといいます。
遠山郷の領主のお面といっても、顔は大きく、鼻も平たくてデカイお面で、どう見ても、中国(大陸)的な顔立ちで、どうも、地元のお殿様の顔立ちとは違います。都(名古屋)方面から天竜川沿いに伝わってきたお祭りは、お面もそのままの中国(大陸)的なものが多く残されているようです。
徳川側についた二代領主遠山土佐守景直(遠山城主)は家康から食事の誘いを受けます。その時、お椀を手で隠しながら白米を食べていた遠山城主に、なぜ、隠しながら食べるのだとたずねると、貧しい地域なので、掻き込むような食べかたが恥ずかしかったと話します。その後、家康よりお米がおくられ、お椀に箸二本を乗せた家紋をいただいたといいます。(今川の家紋よりも、お椀の○から2本棒(箸)の左右先端が出ている家紋)
その後、深刻な相続争いが起こり、領地を幕府に没収され徳川直轄になったという話です。
そういう表向きの説明とは別に、百姓一揆が引き金となり遠山一族は森の中で村人達に惨殺されたという言伝えがあります。
遠山郷の村民は鎌倉時代から伝わる『遠山郷・霜月祭り』の演目の中に、自らが惨殺した遠山一族の鎮魂をも織り込んで、したたかに生きてきました。
谷の民はそういう、自らの矛盾をも『霜月祭り』に取り込み、それを演じ直す(追体験する)ことで新しく生まれ変わり、明日を生きてきたのだと思います。
神社家屋内は、4間×4間ほどで16坪~20坪で、かまどを中心に神事と面舞いが次々と繰り出し、それを取り囲むようにお囃子と観客が一体となって、夜通し騒ぐわけですから、『熱い、煙い、眠い』が合言葉です。
仮面の化身達と村民の融合をせきたてるお囃子は、ワンフレーズをまじないの様に延々と繰り返し、冬至近くなって光を失いかけている神々の霊力を増殖し、再生をうながします。
案内文に『鎌倉時代に伝えられた宮廷の湯立て神楽に、遠山郷の領主だった遠山土佐守一族の死霊を慰める儀式が組み込まれ、独自の形式で伝承されている。「霜月」の名称は陰暦11月に行われることに由来しており、最も日照時間が短くなる時期に神々を招くことで「万物の生命力をよみがえらせる」と信じられている。』とあります。
そして、天狗やカラス天狗の面(おもて)には、動脈、静脈を表しているのか、赤と同じ数だけ真っ青の天狗面もあります。
猿楽・狂言の始まりなのか、猿や狐、しょんべんばばあの面まであり、それらの登場のときは皆、大笑いでした。
(演目順番、剣、フリコメ、ヤーハイ、キンタマ、タメタリ、オケツ、タメタリ・・・)
13の神社での竈(かまど)は鉄製の五徳と土などで固められたカマドの2種類があり。名古屋(都)に近い神社ほど鉄製の五徳(より文化的なもの)が使用されていますが、上流の谷深い地域の神社では土で固めた竈(かまど・文化的でない)が毎年修復され伝承されていました。
なかでも、上流に位置する白山神社(写真)のカマドは四方に御幣を立てるお椀型土饅頭が“おっぱい”のようで、少しエロチックですし、焚口が6か所あるため、6本足の生き物のようです。
上空の井桁に取り付けられた形紙の切り模様には全て意味があり、真ん中に小さな照る照る坊主のようなものが、2個逆さまにぶら下げてありました。
中身は何かと聞くと、豆(五穀)が入っているが、ようは、●●玉だといわれました。なるほど、下は乳房のような土饅頭と焚口には炎が噴き出し、蒸気でむせかえっているのです。
とくに、この遠山郷白山神社(写真)の土竈(かまど)はあまりにも素晴しく、思わず感嘆の声をあげてしまいました。
『湯立て神楽』は釜の水を沸騰させ神様を招き入れます。それは、火と釜と水を使った『料理のカタチ』と似ています。失礼ながら、調理される材料は神様ということになります。
レヴィ・ストロースの『料理の三角形』・『生のもの』『焼いたもの』『腐ったもの』『煮たもの』に当てはめてみると、どのような構造になるでしょうか。
神様を釜(文化的手段)の中に入れて、お風呂(42度)の温度を保っているわけではありません。湯は常に沸騰(100度)させてあり、釜の上の井桁で神様を『蒸している』という状態です。
しかし、蒸すといっても、しっかり囲われた蒸し器(文化容器)もありません。カマドからあふれ出た煙に燻(いぶ)されてもいますが、燻製製造容器もありません。
空中の井桁では、まわりの空気にさらされて、スカスカの状態ですが、祭りが始まりますと、火の粉と煙と湯気が混然となって井桁上空の神様を包みます。
クライマックスには大天狗が現れ、気合もろとも素手で神様に熱湯をかけます。その時、熱湯の飛沫(しぶき)をあびたまわりの村民は1年間無病息災にすごせるといわれています。
この空中井桁装置では、焼く、蒸す、いぶす行為があり、最後は熱湯をかけて煮るという要素も含まれています。
一つの要素に限られているのではなく、『生のもの』『焼いたもの』『蒸したもの』『いぶしたもの』『煮たもの』と全ての要素が含まれている調理方法ということになります。
西欧の神様は自然も人間も超越した存在ですが、日本の八百万の神様は万物の中にあり、自然に近いものです。
自然に近いものは『生のもの』の範疇に入ります。
それならば、日本の神様(生のもの)は、放置しておくと自然に腐るのでしょうか。
と考えたら、宮崎駿は、千尋が世話をした神様を『おくされ様』と呼んでいました。
『御腐れ様』とは、良く言ったもので、日本の神様は、1年間放置されると腐ってくる『生のもの』で自然に属するもののようです。
この、遠山郷の『湯立て神楽』(霜月祭り)は最も日照時間が短くなる時期(冬至)に神々を招くことで「万物の生命力をよみがえらせる」とあります。
招いた神様たちを、風呂釜に入れるのではなく、ましてや、直接火で焼いたり、煮えたぎる釜の中に入れるものでもありません。
古くから伝わる『遠山郷の湯立て神楽』の装置は、釜の上、1.2m上空に井桁を吊るし、そこに紙垂(しで)や伝承紙型を飾り、それらの結界の中に神様をお招きします。
空中(空気中)に置かれた神様たちに対して、怪しい特殊な精力剤などは使わずに、古代から人間が獲得してきた全ての料理要素(焼く、煮る、蒸す、いぶす)を駆使して、おもてなしをし、再生を促しています。
はたして、全ての料理要素でおもてなしをすることに、どんな意味があるのでしょうか。
狭い木造神殿の窓からは光と煙と蒸気が噴きで、中から笑いとお囃子が聞こえてきます。 雪降る山の動物たちが眺めたとしたら、霜月祭りの小さな神殿は一種の生命体のように見えるかも知れません。
すべての要素(焼く、煮る、蒸す、いぶす、空気のまま)といっても、ここにはもう一つの要素、『発酵』がありません。
しかし、それだからこそ、人間は神々の神殿にお神酒をあげてあるのです。
熱湯上空の天蓋に飾られた伝承切り紙『ザゼチ』の揺れるさまで、八百万の神様の片鱗を可視化し、熱気と煙でみずからトランス状態になった村民たちはさらに深いところで神々に近付き体現しようとしています。
日本の神々は、自然(生のもの)と表裏一体のものですから、1年も野に放たれ、空気にさらされると、発酵ではなく御腐れ様(おくされさま)になってしまいます。さすが、宮崎駿はわかっているのです。
また、古代人の思考を探求した折口信夫(釈超空)も1920年(大正9年)、岐阜県恵那市から長野・愛知・静岡3県の接点(坂部)を通って、秋葉街道を交差するように静岡市まで探訪しています。しかし、新野の雪祭りや名古屋方面から天竜川沿いに伝わってきた『花まつり』などは見ていますが、その支流(上流)の遠山川の『湯立て神楽』(霜月祭)までは訪れていませんでした。
そして、学生時代、自転車旅行で偶然立ち寄り、遠山郷に魅せられた藤原直哉さんは、その27年後、この限界村落に『遠山藤原学校』を2007年に開設し、日本再生はここから始まるのです、といって精力的に活躍しています。
私はその第一回・遠山藤原学校(2007年4月21日)に出席し、始めて遠山郷を訪れました。
(2007年第一回・遠山藤原学校の懇親会、熊と猪と鹿の肉をいただきました)
◆蛇足ですが、なぜか、ナウシカのミト爺の祖先のお面もあった。