蔵織のお雛様の秘密・・・

実は、蔵織に飾ってある『享保雛』の頭が禿げています。茶髪ではありません、その秘密は
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手前の小さな『享保雛』の雄雛の冠は人形の頭部と一体でできています。
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横から見るとよくわかります。一体でできていた冠の部分がポッキリと折れて無くなっているのです。
頭部と冠が一体でできているお雛様は江戸中期のものだそうです。
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『古今雛』になると冠と頭部は一体ではありません。まぶたもふくらみが出てきます。
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明治時代の『古今雛』では瞳の裏からガラス玉がはめられています。
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# by moekire | 2012-03-11 13:58  

石子順造②赤瀬川原平『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行

つげ義春の絵では左の子供が目をつむっているのに対して、漫画主義では二人の子供は目をあけている。はたして、子供たちが見た画像は?
李さんの脳天軸を中心に左右に回転すると、吹き出し文字には『実はまだ続いているのです』とあり、黄色い炙り出しのようにNo6号の表紙絵がうっすらと見える。『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』(かくまんどううろこはねうすりぃとらひこうのず)だ。
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私の持っているポスターの『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』では口にタオルを当てていない。なぜかは不明。(BEST DANGEROUS THOUGHTSと文字にかかる背後の雲のような物体はなんだろう?まる焼けチキンかまる焼けダンボのようにも見えるが、煙を描いていてうまくゆかなかったのか?)

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冊子表紙『革漫同鱗羽烏蘇里虎飛行の図』1969年
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下、漫画主義ポスター(赤瀬川原平)
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              フランスのイラストレーター、アングラポスター研究家
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ブラウン・セシル(Brun Cecile)さんのHP
ピシャー・オリビエ(Pichare Olivier)さんのHP(少し重い)



蔵織1968年~1972年 アンダーグランド ポスター展(2007年)


フランスのイラストレーター、アングラポスター研究家のブラウン・セシルさんがやってきた


漫画主義 No6 1969・3・20
かつて劇画は生き死をその本体とした-戦後意識の惨めな転回と劇画- 権藤晋
「戦記マンガ」批判の思想を撃つ-石子順「少年漫画と戦争」批判-梶井純
意味の世界のタブーを犯す-林静一論- 上野昂志
大衆文化としての漫画 斉藤次郎
ナンセンス・ギャグ・マンガ論のために②あほらしさ、情況への痛覚-なぜ<ナンセンス>なのか- 石子順造
座談会 子どもマンガ情況の頽廃と批評の力 漫画主義編集委員会
つげ義春論 つげ義春と「随筆」の距離 新崎智
つげ義春論 つげ作品の生涯と情念 
手塚治虫試論② 何がロックを殺したか 菊池浅次郎
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# by moekire | 2012-02-14 02:35 | 萌え  

高橋捨松翁が明治34年・新潟市で写した『勧商場』とは何ぞや・・・・・?

新潟県六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家『金城酒販・高橋一哉氏』の十代目にあたる高橋捨松翁が写した乾板写真の中に明治34年に新潟市を訪れた時の貴重な写真がある。その中の明るい日差しできれいに写っている新潟市古町6にあった『勧商場』の鮮明な姿があった。

勧商場』(勧工場)
明治・大正時代,一つの建物の中に各種商店が連合して商品を陳列し正札販売した一種のマーケット。1877年の第1回内国勧業博覧会の残品処理のため東京麹町(こうじまち)区辰ノ口(現在の千代田区丸ノ内)にできた物品陳列所(1878年:明治11年1月20日、東京永楽町辰ノ口に、府立第一勧工場開場)が最初で、のち各地に開設。(コトバンク)
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 ↑ 新潟市古町6番町963番地(現在の古町6ディーズビル:パチンコダイエー)
    の勧商場の写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)
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『新潟懐古資料88』創設当時のいろいろ (散華生稿)
出願者五人:明治17年2月6日、古町5の横田孫平、上大川前5の小山甚蔵、上大川前7の高橋治太郎、港町1の前田松太郎、下大川前5の藤野東太郎の五人が発起人となって出願し、許可された。趣意書に、ここに百貨を陳列し一々正確の定価を附し売買上の便宜を計るとともに当市物産の進行に努めたい、とあり、県も願意を容れてこれを許した。新潟市古町6番町963番地に建設し、同年4月10日に開業した。(早すぎる?)
当時、内部の構造は場内を区画して、70余室とし、各室の奥行きは4尺(1.2m)、幅は9尺(2.7m)と限定してあった。1室の貸付料は今から(大正15年)見ると恐ろしくやすいもので、一昼夜2銭5厘より少なからず、2銭5厘よりも多からずというのであった。開業の当夜などはその付近は見物の山を築き、頗(すこぶ)る盛んな景気なものであった。その後、本町13番町吉良萑熊ヶ小路から上4件目の東側にも弘商館というのができて、また、古町8にも広商館という一字違いのものもできてきた。(大正15年9月29日新潟新聞)

大正10年4月発行の会社通覧(農商務省編纂・国産時報社)によると、明治33年12月に合資会社勘商場(新潟市古町6番町・商店賃貸)として設立記録がある。明治17年2月6日に出願して、創立事務所を西堀前6番町11番地に置き、勘商上は古町6番町963番地に同年4月10日にオープンしている。のち、明治33年12月に合資会社勘商場として古町6に登記している。明治17年2月6日の出願前から建物の工事を始めていたのか、2ヶ月間の工事期間は短すぎる。また、捨松翁が写真を撮った明治34年はオープンから17年がたっている。きれいに写っているがよく観ると外壁の塗装はだいぶはげているし、2階バルコニーの床飾りも相当傷んでいるが、大屋根の4尺(1.2m)のひさしが外壁の傷みを防いでいる。建て替えなどはなく、写真はオープン当時のままの建築物であろう。
こういう些細なことが写真からわかるということは、いかに(金城酒販・高橋コレクション)の写真が鮮明に残っていて、貴重なものだということがわかります。百聞は一見にしかずです。

明治30年前後『勧商場』は全国で隆盛を極めたが、定価販売から安物販売にはしり衰退していった。代わりにソフトを重視した呉服店の再興:百貨店(デパート)の人気が高まりはじめた。



新潟県六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家の明治・大正のガラス乾板写真を訪ねて・・・


新潟県物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)


六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家の明治・大正の乾板写真と阿部家ルーツ・・・
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# by moekire | 2012-01-08 00:52 | 新潟の昔のこと  

新潟県物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)

新潟県六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家『金城酒販・高橋一哉氏』の十代目にあたる高橋捨松翁が写した乾板写真。高橋捨松翁がカメラをかついで新潟市を訪れている。
その時の貴重な写真が数十枚残されている。その写真が今回の、 『柳都の華』ー新潟花街史を見るーで展示されます。(にいがた文明開化ハイカラ館に写真があります)
下、一府十一県連合共進会会場・物産陳列館正面写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)
その後、昭和7年、この場所に旧新潟県庁が建てられる時に、物産陳列館は現在の新潟市役所分館(陸上競技場横)の場所に移設され、本館は科学博物館となり、左側の建物は市立白山高校として使われました。昭和7年完成の新潟県庁は戦後を生き延びて、1989年(平成元年)現在の五代目新潟市庁舎を建てる時に解体され、新しい現在の市役所が完成します。2本の松の木はシンボルとして残っています。
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  ↑ 新潟県物産陳列館写真、明治34年 (金城酒販・高橋コレクション蔵)
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完成した旧県庁と解体移設された物産陳列館の記念はがき。
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移設された物産陳列館のアップ。
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左側の建物が白山高校としてあった時の写真・昭和37年「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)その88ページ。(中央黒い屋根。)
松の木の位置?あるいは門柱の位置?
高橋捨松翁が写した明治34年の写真には大きな松の木が門の内側にあるのに、下の写真絵はがきには松の木が門の外にある。門柱のデザインも変わっている?
『にいがた文明開化ハイカラ館』さんによると、明治34年には写真絵葉書はほとんどないとのこと、それゆえ、高橋捨松翁が写した明治34年の写真は非常に貴重なものだそうです。
門柱の頭の電灯からみると、大正時代に門の位置が内部に下がって建て替えられたのではないか?というお話です。
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1901年明治34年新潟県物産陳列館開館の松の木

昭和37年・旧県立図書館の真裏に「新潟県物産陳列館」移築後の黒い屋根が見える
「思い出ほろろん・新潟編」(著者:中俣正義、発行:新潟日報事業者)
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# by moekire | 2012-01-03 23:08 | 新潟の昔のこと  

六日町(南魚沼市)の旧家・高橋家の明治・大正の乾板写真と阿部家ルーツ・・・

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新潟県南魚沼市六日町の旧家・高橋家『金城酒販・高橋一哉氏』の十代目にあたる高橋捨松翁が写した乾板写真が発見され、明治、大正の六日町の街並みや生活行事、新潟市の写真など1244枚を、十二代の高橋一哉さんがデジタル化されているということで、見学に行ってきました。新潟市の貴重な写真も数点ありました。
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十二代の高橋一哉さん。左PCのデジタル画像でたくさんの貴重な写真を見せていただきました。
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信濃川の最大の支流、魚野川が高橋家の裏を流れています。大正13年に上越北線が塩沢~浦佐間を開通するまでは、魚野川の川舟が三国街道と並び重要な交通手段でした。明治期以降は長岡市までの定期船があり、朝8時に六日町を出発し夕方5時ころにに長岡についたといわれています。『胴高舟』(図上)は50俵の米を、『こうりんぼう』(図下)は30~70人の客と物資を乗せたといわれます。帰りは流れに逆らって、岸から数人の人達で引っ張りながら4~6日間かけて六日町に戻りました。(復元された川舟もずいぶん大きいですが、昔の写真ははるかに大きいです。そんな大きさを復元するには、大きな材木がなく現在の大きさになったということです。)
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7人が船を曳いて魚野川をさかのぼる。和南津の下流あたり。貴重な写真である。(写真提供川口町)信濃川五十三次・六日町船着場跡




新潟県六日町(魚沼市)の旧家・高橋家の明治・大正のガラス乾板写真を訪ねて・・・
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# by moekire | 2011-12-08 00:29  

小国の真福寺の木喰・仁王像(阿形・吽形)と長谷川邸も見学・・・・

先回の木喰ツアーで省いた真福寺の木喰仁王像を見てきました。道中の長谷川邸も見学しました。
真福寺の山門はすでに冬支度がされていました。
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真福寺・仁王像(阿形)
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仁王像(吽形)
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文化元年(1804)、長岡市小国の真福寺を訪れた木喰上人は、仁王尊の巨像を一木造りで彫り上げた。1本のケヤキの木から作られた、阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)はそれぞれ2m40cm余りもの高さがあり、木喰仏の中でも最も量感あふれるものだ。固いケヤキを使っているにも関わらず、87歳の木喰上人は10日間あまりでこの2体を完成させたという。百貫以上もの木を相手になぜ一人でできたのか、未だ謎だが木材を池に浮かべてくるくると回しながら彫ったという伝説もある。その表情は一般的な仁王とは印象が違い、どことなく愛嬌があり、ユーモラスだ。(新潟県公式観光ガイド
山門天井
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ライオンの狛犬が階段の脇におりました。
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404号線途中の長谷川邸も見学
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武士の出身といわれる長谷川家が、塚野山に居を構えたのは江戸時代の初め頃です。以来山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきました。幕末から明治にかけては近郊4か村の耕地や山林の7割を独占し、180町歩余の田から4000俵もの小作料をあげた豪農です。
 敷地は街道に面した間口約70メートル、奥行120メートルと広大な物で、周囲に濠をめぐらせているのが特徴です。主屋は宝永3年(1706)の大火で類焼し、享保元年(1716)に再建されたと伝えられています。邸内には県内最古の豪農の館であることを示す建築様式が随所にみられます。(長岡市・観光)
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つづく「アオーレ長岡」のナカドマがハレの空間なら、『長谷川邸』の享保の『中土間』は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の時空だ。
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# by moekire | 2011-11-26 01:09